習得対象としての中国語と学習プランニング

「中国語習得フィージビリティスタディ」で学習プランを設計するための対象的要素としての中国語について言及した。その中で「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という孫子の言葉を引いたが、この言葉を借りるならば、「敵」とは「対象」であり、言うまでもなく「中国語」となる。ここでは、この点について考えてみたい。

なお、ここでいう「中国語」とは、学術的な意味のそれではなく、「外国人が外国語として学ぶ中国語」と定義して話を進める。

外国語としての中国語

およそ外国語として学ぶ言語というものは、規範化された、極めて純正なものだ。中国語ならば、基本的に数ある多様な方言は学習対象から外される。粗野な口語や古文なども上級者の嗜みのようなものだ。言語文化的な知識に対する要求も、中国語を母語とする者ほど高くない。中国人ならば当然の常識とみなされる有名な古詩や歴史にまつわる知識も最低限のものに限られる。

このように、外国語として学ぶ中国語の学習範囲は、中国人にとっての“语文”(「国語」のこと)に比べずっと小さくなる。我々外国人学習者が学ぶ中国語は、中国人の学ぶものと完全に一致する訳ではないのだ。

その上で、我々が学ぶ外国語としての中国語は難しいのか否かというテーマについて考えてみよう。外国語として言語を学ぶ場合、その難易度は母語との相似性、平たく言えば母語にどれだけ似ているのか、という点にかかってくる。母語に近ければ近いほど、その外国語は習得しやすくなるのだ。

欧州の、例えばスイスのような大国に囲まれた小国では、2ヶ国語3ヶ国語使えるという人は珍しくない。フランス語やドイツ語に接する機会が多い、ということもあるが、そもそもそれぞれの言語的な距離が近い、という要素も大きく影響している。母語と外国語の相似性が高いのだ。

四方を海に囲まれた日本人にとっては想像しがたいかもしれないが、世界にはこのような地域も少なくない。日本語に例えるならば、標準語話者が京訛りを覚えるようなものだ。もし日本が統一することなく複数の国に分裂したまま発展し、近畿地方が京訛りを標準語としていると仮定してみよう。関東人にとって、京都語(京訛り)を習得するのは、英語や中国語を習得するよりはるかに簡単だろう。

話を中国語に戻そう。大多数の外国人が中国語を学ぶ上で壁となるのが、「文字」と「発音」である。中国語はその文字として世界的に見て珍しい表意文字を採用している。これは表音文字文化に属する人にとっては、とてつもなく大きな壁となるのだ。数千もの文字を覚えなければならないのだから、考えただけでゾッとするだろう。

また、中国語は声調言語であり、アクセント言語にはない独特の発音ルールが存在する。言語的にはこのほかにも孤立語であるとかいう特徴などもあるが、外国語としての中国語習得という点で考えるならば、中国語の最大の特徴は文字と声調にある。

日本人にとっての中国語

これを踏まえたうえで、我々日本人にとっての中国語を考えてみよう。先にも述べたように、外国語の習得においては、習得対象の外国語が母語との差異が小さければ小さいほど有利になる。では、日本語と中国語はどのような関係にあるのだろうか。

残念ながら、発音や文法体系はまったくの別物だ。ただ、文字は日本語が大量の漢字を表記文字として採用していることが幸いし、その他諸外国の中国語学習者に比べ大きなアドバンテージを有している。

中国語で何かと発音が強調されるのは、中国語の難関である「発音」と「文字」のうち、「文字」が問題にならないところに起因するところも大きい。二つの難関のうち一方は母語の中に近い要素を持っているので、その分発音がクローズアップされるのだ。一方、文法は動詞の活用などもないので、実用上のレベルにおいては英語などに比べシンプルである。これらを総合して考えるのならば、日本人にとっての中国語は、相対的にはそれほど難しいものではないはずだ。

これを裏付けるものとして、外務省(記憶に間違いがなければ)による外国語難易度評価(5段階、数が大きいほど難易度も高い)では、中国語はレベル3に位置しており、レベル4に位置する英語より低く判定されている。英語については学校教育のカリキュラムの中で相当程度学ぶという社会的要素も考慮する必要があるが、純粋に言語的要素だけで比較するのならば、日本人にとって、中国語は英語より簡単なのだ。

学習者にとっての中国語

以上の話は全体としての話となる。個別の学習者については、ここから学習対象になる中国語に絞込みをかけることとなる。この点については「習得目的の明確化と正のスパイラル」で言及しているのでここでは簡単にまとめるが、各々の学習者にとって必要になる中国語は、外国語としての中国語の中の、そのまた一部でしかないのだ。

それは会話能力であったり、読み書きの能力だったりと人それぞれである。ただ、共通して言えることは、高度な専門職を目標としない大半の学習者にとっては、その範囲は相当程度限られてくる、ということだ。

学校の定期テストのように、出題範囲が狭いのならば、高得点を取得するのは難しくない。それと同じ要領で、学習する範囲を習得目的に応じて絞り込むことで、必要になる中国語能力の習得に要する労力を大幅に低減することができるのだ。

中継地点としての中国語

目標が高い学習者の場合でも、学習対象としての中国語の範囲を定期的に見直すことで、より高い学習効果を期待することができる。これは個人差もあるので一概に言うことはできないが、はじめからいきなり通訳のような高いレベルを目的として設定するのではなく、まずは旅行会話に不自由しないことを目指したり、とりあえず中検3級のような資格取得を目標として、そのレベルになってからさらに上を目指すかどうか決める、というやり方だ。

目標が近くなると時間的にも労力的にもストレスが軽減されるので挫折しにくくなり、また達成感が更なる学習の動力となる。また、生活や仕事の中で必要になる中国語能力というのは常日頃から使用するものなので忘れにくく、また熟練度も日増しに高まる。これはそのような環境の中にあることが前提となるが、その気になればある程度の環境は構築できるものだ。この点についてはまた項を改めて考えてみたいと思う。

熟練度が増し、そのレベルにおいて地が固まると、さらに上を目指す場合においても強力な支えとなる。中途半端に高い目標を設定してしまうと、宙ぶらりんになってしまう可能性があるので、この方法の方が失敗する可能性は低くなるだろう。もちろん、人によっては小さな達成に満足し、向上心を失ってしまう場合もあるかもしれない。これは学習者次第だから、やはり自己分析が肝心となるのだろう。

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