ここからはリスニング・スピーキング・リーディング・ライティング及び発音・文法・語彙という語学主要項目について、中国語学習法を構築するために注意すべきいくつかのポイントを中心にまとめてみたいと思う。
半ばよしの「発音」も……
語学の学習プランというものは、敢えて喩えるなら保険と人生設計みたいなものだろうか。20代で入っておいた方がよい保険と、50代で必要になる保険はかなり異なる。独身時代、結婚後、出産後、子供の独立後、老後......それぞれの場面で必要になる保険と必要のなくなる保険が存在する。
中国語の学習プランも似たようなもので、各学習項目においても入門初級レベルでは至極重要になるが、上級レベルではまったく必要なくなるものもある。
これは例を出した方がわかりやすいだろう。例えば「発音」である。「発音よければ半ばよし」という格言まで存在するほどなのだが、入門初級では嫌というほど重視されるこの項目も、上級レベルでは音沙汰なしである。発音に重大な欠陥がある場合は上級者でも矯正する必要があるが、たとえ多少訛りがあったとしても、問題なく通じるレベルにある場合は、もはやいちいち矯正する必要はないのだ。
もちろんネイティブスピーカーの発音に憧れ、多大な労力をつぎ込んでもそれに近づけたい、という話ならば矯正しても良いのだが、実用面から考えればその必要はない。そんなことに費やす時間があるのなら、語感を磨いたり、表現力を高めたりする方がより実用的だ。究極的には、発音は言葉を伝達する媒体でしかなく、たとえ訛っていようが通じるレベルに達していればそれで用は足りるのだ。
要は60点でも100点満点でも合格であることには変わりない。取得できる単位は同じなのだ。
重要性が変わらなくても学習法は変化する
入門初級から上級まで一貫して一定の重要性を持つものもある。「語彙」がその代表だ。ただ、これも実践上の方法論としては大きな差異が存在する。重要性は変わらなくとも、学習方法はレベルによってかなり異なってくるのだ。
入門初級の語彙は頻出度の高いものが中心になるので、単語帳などを作って暗記するよりも、なるべく中国語に接する機会を増やすことを心掛ける方が良い。この方がより自然な形で語彙を覚えることができ、また習熟度を高めることにも寄与するからだ。
一方で中上級の語彙、特に上級のものは頻出度が低いものばかりなので、同じ語彙に接触する機会はどうしても少なくなる。どうしても覚えたいのならば単語帳が手っ取り早いのだが、無理やり詰め込んでも使わないものは忘れてしまうものなので、筆者は推奨しない。インプットでは接触機会が限られてくる以上、自身でコントロールできるアウトプットの中で意識して使用し体得していく方が、定着率は高くなるだろう。
このように、重要性そのものは変わらなくても、実践上では学習方法に大きな相違が出てくるのだ。
相関性を持つ各項目
冒頭で列挙した各項目はそれぞれに一定の相関性を持つ。例えば、リスニングとスピーキングは密接に関係している。基本的に、聞き取ることができないものは話すことはできない。リーディングとライティングも同様の関係性を持つ。読めない人は書けないのだ。
この相関性はそのまま学習に応用することができる。リスニングを行うことでスピーキング力を、リーディングを行うことでライティング力を高めることができるのだ。
ちなみに、先に紹介した「インプット」と「アウトプット」の分類においても、一定の相関性を認めることができる。ライティングによってスピーキング力を伸ばすことができるのはこのためだ。
「ペラペラ」の誤謬
逆に考えると、ある特定の能力が極端に低い場合、全体の能力がそれに足を引っ張られて低くなってしまうケースもある。
日本人の英語がその良い例だろう。日本人は英語下手とされるが、これは日本の英語教育が極めてバランスを欠いてきたことに起因する。近年は変更が加えられてきているようだが、日本の英語教育は文法読解翻訳に偏重してきたため、リスニング力・スピーキング力が低く、それが全体の足を引っ張っている。ある程度の読み書きはできるが、会話はほとんどできない。それが「6年も勉強してきたのに何も聞き取れないし話せない」という国民の大量生産につながったのだ。
その結果特異な意味を付せられることになったのが、かの「ペラペラ」である。外国語ができる人を喩えて「~語ペラペラ」というが、この言葉で修飾される能力は会話力である。「ペラペラ話す」と言うことはできるが、「ペラペラ書く」とは言わない。会話は他の能力に比べ人目につくのに加え、会話ができない人が多いので、会話ができることをもって外国語ができるとみなしてしまうのだ。
会話はできても読み書きができないというケースもあるはずだが、それでもその人は「ペラペラ」である。読み書きができなくても、外国語の達人とみなされてしまうのだ。これはどう考えてもおかしいだろう。
会話に必要となるもの
「外国語はファッションである、カッコよければいい」という人はそれでも良いかもしれない。「ペラペラ」であれば良いのだから。では、「ペラペラ」になりたいのなら、会話の練習だけすれば良いのか、というと、残念ながら必ずしもそうとは限らない。
スピーキング力を伸ばすには、まずリスニングを行う必要がある。これは相関性云々というよりも、そもそも会話はキャッチボールなのだから、聞き取れないことには会話自体が成り立たないので、リスニング訓練が必須になるのだ。耳の遠いお年寄りと会話しているのではないのだから、繰り返し話しても聞き取れない会話相手とおしゃべりしようなどと言う奇特な人はいない。ボールをキャッチできない人とキャッチボールをする気にならないのと同じだ。
では、会話力を構成するスピーキング力とリスニング力を高めるには、何が必要になるのだろうか。
まず考えられるのが発音である。リスニングにせよスピーキングにせよ、音がらみの項目なので発音は無視できない。語彙力も重要だ。音が聞き取れてもそれが意味するものがわからなければ相手の発言を理解することはできないし、自分の意思を表現するにも語彙を知らない限り表現のしようがない。また、正確に意思を表示するには文法力は不可欠だ。挨拶ぐらいならフレーズの丸覚えでも済むのだが、それ以上のものを求めるのならば、文法なしではまともな会話にはならないだろう。そしてこれら語彙力や文法力を高めるには、リスニングやスピーキングだけでは非効率で、リーディングやライティングを交えた方がより早く習得できるのだ。特にライティングは、正確な会話発信能力を身につけるのに大きな力を発揮する。ライティングなしで上級スピーキングはあり得ないと言っても過言ではない。
このように、会話能力のみというように習得項目が限定されている場合でも、それを効率的に身につけるには、一見関係なさそうな項目を学習の中に取り入れていく必要がある。総合的な中国語力を身につけたいと考えているのなら尚更だ。
項目限定集中学習
各項目がそれぞれに相関性を持っており、そのバランスが重要ということなら、それらを同時並行して行っていけば良いのだろうか。確かにそれでも構わないが、実践上それはあまり現実的ではない。1日8時間を学習に当てることができるような場合は可能だが、現実には1日1~2時間の学習時間を確保できれば万々歳という学習者が大半だろう。そんな中であれもこれも、というのは贅沢な話だ。
幸いなことに、これらを並行して進める必要性はない。一定期間(例えば1ヶ月)どれかの項目を集中的に行い、順次学習項目を切り替えていくやり方でも一向に構わない。この方法は比較的短期間で上達を実感できる場合もある、おすすめの方法だ。
1つ2つの項目が全体の足を引っ張るということは、その項目が補われれば中国語力が飛躍するということも意味する。項目限定集中学習を続けていると、そのような「飛躍」を一度ならず実感することができるのだ。この感覚は外国語を学ぶものにとってはこの上ない喜びである。これが学習意欲を刺激し、さらなる精進への糧となるのだ。
また、如何に相性が良く効果的な学習法であっても、同じメソッドを続けていくと、脳への刺激が小さくなっていく。注意すべきなのは、「飽きたな」と感じたときは、既にそのメソッドの学習効果が減退している可能性が高いということである。人は同じ事を繰り返すと、その行動から感じる刺激は低下していく。これは中国語学習についても当てはまり、同メソッドを継続し続けると、脳に対する刺激が低下していくのだ。
この問題を回避する手段として、お気に入りの学習法を軸に複数の学習法をローテーションさせるという方法がある。いくつ準備するのか、どれだけの期間で変更するのか、という具体的な話は個人差があまりに大きく、一概に言うことはできない。学習者自身でいろいろ試していくしかないものと思われる。
学習方法と学習効果は一対一の関係ではない
中国語の学習方法は多種多様だが、それは必ずしも一つの項目だけに効果があるという訳ではなく、複数の項目にまたがって大小異なる効果をもたらす。
例えば、リピーティングという学習方法がある。これは一応はリスニング学習に分類されるものだが、聞いたものを口に出して繰り返すということから、スピーキングに対しても一定の学習効果を持つ。また、口から出すということは発音練習にも通じ、合わせて語彙も覚えるならばボキャビルにもなる訳だ。
その他の学習法についても程度の差こそあれ同じようなものだ。また、同じ学習法でもテキストや学習ソースの選択によってまた変わってくる。例えば、同じリスニングでもリスニングソースを会話文にすれば会話力養成に資するものになるように。
学習プランはこれらを踏まえて構築していくことになる。一度構築した学習法を永遠と継続しつつけるのではなく、状況にあわせて常に変更を加えることで、より高い学習効果を追求するのだ。
個人的要素を加味する
学習者個々人に最適化された学習法の構築のためには、上述のような各種学習メソッドの検討のみならず、さらに学習者本人の個別的要素についても織り込む必要がある。
この点については「中国語習得フィージビリティスタディ」でも言及したので繰り返しになるが、学術のために中国語を学ぶ人と、キャリアアップとして中国語を学ぶ人では重点が異なる。通訳のような専門職を志す人もいれば、夫の中国赴任で仕方なく中国についてきた主婦というケースもあるだろう。単に日常会話ができればよし、とする人と、通訳になりたい、という人では要求されるレベルに天地の開きがある。前者なら学習方法を選り好みできるが、後者では好き嫌いよりも学習の効果効率を優先することとなる。
また、これも「性格と相性からカスタマイズする中国語学習プランニング」で詳述したものだが、学習者個人の性格、好き嫌い、学習方法との相性も重要になる。たとえどんなに学習効果の高い学習法であっても、相性が合わないと学習法は効果が半減し、下手をすると挫折の原因となも成り得る。学習法は一つではなく、特定の分野(例えばリスニングやスピーキング等)を伸ばすための方法はいくつもあるのだから、その中から相性の合うものを選んでやれば良いのだ。
また、同じ学習方法でも、実践上多少の工夫を加えることで、学習ストレスを軽減することもできる。あくまでも自分のとって最適な学習法に作り変えていけば良いのだ。
学習者のレベルは日に日に変化していく。その時にはその学習者にとって最良だった学習法も、レベルの変化に従って学習効果が逓減していく。
加えて「時間・資金的要素を織り込んだ中国語学習プランニング」で詳述しているように、同じレベル、同じ嗜好の学習者であっても、それぞれが置かれている環境、経済力、時間的制約によって、学習方法は大きく変化する。経済力があればより大きな資金を投下することで学習効果を高めることが可能であり、また、時間的制約が少なければ少ないほど選択できる学習法に幅が出てくる。
学習者それぞれの学習目的と性格、相性、経済的時間的制約及び習得レベルに基づき、常に学習方法をカスタマイズしていく。これこそ個々の学習者が自身にとって最良の学習法を構築する方法であり、これを学習法の最適化と呼ぶのである。