中国語を習得する上で最も重要になることは「バランス」です。
外国語習得の秘訣を一言で教えてほしいと聞かれることがありますが、そのような場合決まってこの言葉を返します。もっとも、聞いた側は何のことかさっぱりわからないようですが。
本項からは中国語習得の核心とも言える「バランス」について考えていきます。
4つの技能と5つの要素
言語は4つの分野に分類することができます。ご存知「聞く・話す・読む・書く」の4技能です。また、この4技能を支えるものとして、「発音・文法・語彙・修辞法・知識」の5つの要素があります。そしてこの9つのバランスが中国語習得の鍵となります。
この9つはさまざまな形で関係し合っています。
例えば、「聞く・話す・読む・書く」の4分野の場合、「聞く」と「話す」、また「読む」と「書く」はそれぞれ密接な関係にあります。平たく言えば、聞きとれない人は話せるようにはなりませんし、読めない人は書けません。
一方、たくさん「聞く」と、リスニングだけでなく「話す」能力も上がります。これは、読み書きについても全く同じことが言えます。
また、「聞く」と「読む」また「話す」と「書く」は、それぞれインプットとアウトプットとして分類することができ、一定の関連があります。一方の力が上がれば、それに引きずられてもう一方の能力も伸びる傾向があります。
これに対して、「聞く」と「書く」、また「話す」と「読む」については関連性が薄くなります。聞ける人が書けるかどうかはわかりませんし、読める人が話せるとは限りません。
一方、「発音・語彙・文法・修辞法・知識」の5能力については、それぞれ「聞く・話す・読む・書く」の4分野と密接な関係があります。
このうち「発音」は「読む」と「書く」との関連が低くなりますが、それ以外の4つについては、4分野のほぼ全ての部分に大きな影響を及ぼします。
特定の分野が他の分野に比べ著しく低い場合などはこの9つの要素を改めて見直してみることをおすすめします。また、「聞く・話す・読む・書く」の4技能において特定の技能を伸ばしたい場合、このこの9つの要素の関係性を考えることで学習の重点をどこに置くべきかも分かります。
この9つの要素について、それぞれどの時期に、どのような方法で、どれぐらいの分量を行うのか、ということが中国語学習法を構築する、ということです。
ペラペラ
外国語学習における言語各要素のバランスの欠如が結果もたらす結果は、日本人の英語を考えれば一目瞭然です。日本人の英語下手は明らかにこのバランスの欠如に由来しているからです。
日本では外国語ができる人のことをよく「ペラペラ」という表現で形容します。これに形容される言葉は通常「話す」です。「ペラペラ書く」という表現は明らかに不自然です。この「ペラペラ」という表現に、日本人のゆがんだ語学認識が如実に表れています。
日本人の英語は文法偏重の学校英語教育のため極めてバランスが悪くなっています。授業では文法と翻訳読解ばかりするので、高校卒業時には文章はそこそこ読めますし、不自然ではありますが英作文も可能です。
その一方で「聞く」ことと「話す」ことはほとんどしないので、ほぼ一様に話すことができません。
そこで外国語で会話ができることに対して憧れを抱くようになります。ここから、日本人の意識の中では、「話せる」=「使える」という図式が成立するようになります。このため外国語が「使える」人は「ペラペラ」と表現されるようになります。
この発想から、多くの人が外国語の習得について致命的な誤解をしてしまいます。それは「話せる」ことが「外国語ができる」ことだという思い込みです。
「使える(できる)、使えない(できない)」は話す以外にもある
外国語が「話せる」ということは、「外国語ができる」ことの一部でしかありません。
まず「話す」以外の「聞く・読む・書く」にも、それぞれ「使える(できる)・使えない(できない)」があります。話せる人が読み書きもできるとは限りません。
また、この「使える(できる)、使えない(できない)」の基準が適用できる分野は、「聞く・話す・読む・書く」の4分野に止まりません。
「通訳」「翻訳」「ディベート」「プレゼンテーション」等々、多岐の分野にわたって「使える(できる)・使えない(できない)」の基準が適用されます。
例えば、電気機器分野の通訳ができたとしても、医療分野の通訳ができるとは限りません。
もちろん、これらの全てをできるようにする必要は毛頭ありません。この中から自分に必要になるもののみ選択して身につければよいのです。
会話するのに必要となるもの
では、話せるようになりたいから、会話スクール等に通って話す練習だけすればよいのかというと、残念ながら必ずしもそうとは限りません。
「話す」ことができるようになるには、まず「聞ける」ようになることが大前提になります。たとえ話せるようになっても、相手からの返答がわからなければ会話は成り立たないからです。
独り言ならいいのですが、会話はあくまでも会話相手とのキャッチボールです。簡単な表現すら聞き取れない話し相手から、何度も「ゆっくり話してくれ」とか「もう一回言ってくれ」と言われ続けたら、誰でも話す気など失ってしまいます。
では、この「話す」と「聞く」力を身につけるには、何が必要になってくるでしょうか?
まず「発音」できる力が必要になります。自分が発音できない音は聞き取れません。聞き取れなければ会話が成り立ちません。
次に必要になるのは語彙力です。たとえ発音が聞き取れるようになっても、それが何を意味しているかわからなければ理解ができません。また、自分の伝えたいことを表す単語を知らなければ、話すことができません。
加えて、聞いたことを正確に理解し、相手に自分の言いたいことを正確に伝えるためには文法力が必要になります。
道を尋ねるぐらいでしたら文法力がなくても問題ありませんが、まともな会話をしたいのなら文法力は必須です。
さらに、より優れた、場にふさわしい表現をするには、修辞法を身につける必要があります。
また、これら語彙力や文法力を身につけるには、話す訓練や聞く訓練だけでは不十分です。語彙力や文法力を高めるには、「読み」「書き」を交えたほうがより効果的になります。
また、会話に参加するには、話題になっている内容に関する知識が必要になります。
例えば、南北格差について語り合っている会話へ参加したい場合、南北格差についての知識が必須となります。話題となっていることに関する知識がないと、どれだけ語学力があっても発言はできなくなります。
このように、ただ単に「話せるようになりたい」だけであっても、さまざまな方面の能力を高める必要があります。
これをしないと、いくらスクールに通ったり、語学留学してみたりしたところで、たいした会話力は身につきません。
中国語学習法の最適化
バランスが重要ということなら、「聴く・話す・読む・書く」及び「発音・文法・語彙・修辞・知識」の訓練を同時平行して行っていけばいいのでしょうか。
確かにそれでもいいでしょう。継続していけば、中国語力は必ず伸びていきます。
しかし、より短期間で自分に必要となる中国語力を伸ばしたいのならば、勉強方法と分量について細かく調整する必要が出てきます。
特に中国語の場合は文字を共有しているという特殊な事情があるため、バランスの調整は必須です。
中国語と日本語の差異、学習者自身のレベル、学習環境、学習の目的等によって重点を調整することで、より大きな効果を挙げることができるようになります。
なお、中国語学習法構築の際注意すべきなのは、中国語各技能の力を高める方法は必ずしも一つではないという点です。
例えば、「聞く」力を伸ばすための手段(勉強法)には、実にさまざまな方法があります。
これも学習者のレベル・性格・好き嫌い、学習環境、学習の目的等によって選択すべき方法を変える必要があります。
また、これら学習方法の選択に加え、学習方法の使用期間も重要になります。
これは個人差によるところも大きいのですが、同じ勉強法を続けていくと、だんだん飽きてきます。
気をつけなければならないのは、「飽きたな」と感じたときは、既にその学習方法による中国語能力向上の効果は、かなり減退してきているということです。
人は同じことを繰り返すと、そこから感じる刺激は徐々に低下してきます。これは中国語学習も同様で、同じ方法を繰り返し続けると、脳に対する刺激が小さくなってきてしまいます。
このような場合はすぐに学習方法に変更を加える必要があります。
学習効果を最大限に持っていきたいのなら、テキストの残りの部分をやり終えてから、などという考えは捨てましょう。テキストは手段でしかないのですから。
最適化
中国語学習法を構築する際は、これらを常に考慮する必要があります。
一度構築した学習法を永遠と継続しつつけるのではなく、状況にあわせて常に変更を加える方がより高い学習効果を期待できます。
私はこれを「最適化」と呼んでいます。「最適化」の名前の由来は、この考え方がPCの最適化(デフラグともいいます)に似ているからです。
PCはデフラグすることでパフォーマンスの向上を図ることができます。中国語学習も同様で、学習法を最適化することで、学習効果を最大限にすることができるのです。
中国語学習の「質と量」と最適化
中国語学習方法の最適化を考える上で無視できない問題として、学習方法における「質」の学習と「量」の学習の対立があります。
この問題は特に中高英語教育の影響を受けている英語学習者の中で議論の多いテーマですが、中国語学習者の間ではほとんど言及されません。
しかしながら、学習の「質」と「量」のバランスも9つの要素のバランスと同様、学習効果を考える上で欠かせない項目です。
正確さと流暢さ
「質」は言葉を正確に理解できるようになるために不可欠な学習です。これを軽視すると、いつまでたってもなんとなくわかる状態に留まってしまいます。
このような中国語力の場合、友人同士のコミュニケーションにおいてなら相手も理解してくれるので何とかなりますが、仕事など責任を伴う場面では使い物になりません。
一方、「量」はより自然な形で中国語を使用するのに不可欠です。これを軽視すると、ぎこちない、不自然な表現しかできなくなります。
また、言語の処理速度が遅くなりますので、コミュニケーションの際相手を苛立たせる結果になります。
また、読むスピードも低くなり、同じ仕事を処理するにも余計に時間を要することとなるので、速度を要求する業務においては極めて不利になります。
終着点
中国語学習の「質」と「量」について考える上で、無視できない点がもう一つあります。
それは、「質」的学習には一応の終着点があるのに対し、「量」的学習には終着点が存在しないということです。
「質」に分類される文法を例にとります。文法とは言語を研究分析し、抽出した言葉の一定のルールのことです。複雑多岐にわたっていても、一定の範囲がありますので、勉強を続ければいつか終了します。
一方、「量」的なものは無限にあります。続ければ続けるほどネイティブスピーカーのような自然な表現ができるようになりますが、完全に追いつくことはありません。 中国語を志す以上、「量」的追求は永遠に続きます。
「質と量」の最適化
ポイントはどのようにバランスを取っていけばいいのか、ということになりますが、学習初期段階では「質」の学習に重点を置き、学習後期は「量」の学習に重点を置くのが基本です。
留意すべきなのは「質」の学習から「量」の学習へ移行する時期でしょうか。とっくに「質」の学習を卒業すべき学習者が習慣的に「質」の学習をいつまでも続けている例が多く見られます。
個人的には中級に差し掛かった時点で「量」の学習を意識的に取り入れていくことをおすすめします。特に中国語の場合は文字を共有しているという利点がありますので、まずリーディングから「量」の学習を取り入れていくのがいいのではないでしょうか。
結局のところ、中国語学習効果を最大限に高めるためには、9つの要素のバランスという点から考えても、学習の「質と量」という点から考えても、自身の学習状態・進歩状況を把握しながら、常に中国語学習方法の最適化を行っていくことが不可欠だということです。