人物と背景
- 黑砖头
- 严家庄村民。本名は严守礼。严守一の実兄。黑砖头は幼名。面子を重んじる。策を弄するのが好きで、謀略の天才を自認している。
- 吕桂花
- 严家庄村民。牛彩云の母。文革時代に「ふしだらな女」と烙印を押された傷を持っており、そのためもあって夫・牛三斤と夫婦関係が悪い。
- 路之信
- 严家庄村民。中年だが独身。声がとてつもなく大きい。
- 哥们儿
- 严家庄村民。黑砖头の弟分。
- シーン
- 夫の父の葬儀に声の大きい路之信を参列させるため、かつて「ふしだらな女」との烙印を押される結果を作った現鎮長を訪ねてきた吕桂花。そこで労働更生中の黑砖头一派と鉢合わせになる。
会話文
- 黑砖头
- 咦咦咦,吕桂花。你来干什么了?
- 吕桂花
- 牛三斤他爹死了。我来,我来找老路哥回去喊丧[1]。
- 路之信
- 吕桂花。你你你好好说说。你要能把我捞出去,我一定好好喊。我喊不出人样儿来,我不姓路[2]!
- 黑砖头
- 你也别光管老……老路啊,抬灵举幡[3]也需要人啊。
- 哥们儿A
- 对对对,俺一定好好抬!
- 哥们儿B
- 好好举!
- 哥们儿AB
- 好好抬举[4]!
- 路之信
- 吕桂花。抬啊举的一般人儿都能干。我这活儿别人可干不了啊。你去好好说说,你好好说说。[吕桂花往里走,路之信向她大声说道]你好好说说!
- 哥们儿A
- 老路哥你这不仗义啊。都一块儿出来的。
- 黑砖头
- 你不江湖[5]啊。我们去抬举啊。怎么谁都能抬呢。咱得一起出去啊。
- 路之信
- 都怪谁呀。都怪谁呀!又不是我让人来找我的。冲我使劲。
- 哥们儿A
- 吕桂花到底行不行啊。
- 黑砖头
- 她要不行就没行的了。她里边儿有人。一个北京人。当年的知青后来没回城,扎这儿当镇长了。
- 哥们儿A
- 北京人能理吕桂花儿?
- 黑砖头
- 给你们这些不懂历史的没法儿谈[6]。
ピンイン
- 黑砖头
- 吕桂花
- 路之信
- 黑砖头
- 哥们儿A
- 哥们儿B
- 哥们儿AB
- 路之信
- 哥们儿A
- 黑砖头
- 路之信
- 哥们儿A
- 黑砖头
- 哥们儿A
- 黑砖头
日本語訳
- 黒磚頭
- あれあれあれ、呂桂花。何しに来たんだ?
- 呂桂花
- 牛三斤のお父つぁんが死んだんだよ。だから路さんに葬儀で泣き叫んでもらおうと思って来たんだ。
- 路之信
- 呂桂花。よくよく話してやってくれ。もし俺を連れ出すことができたら、絶対に大声で叫ぶから。様にならなかったら、俺は人間じゃない!
- 黒磚頭
- 路さんだけじゃ駄目だ、棺を担いだり幟を掲げたりするにも人がいるだろう。
- 哥們儿A
- そうそうそう、俺絶対に一生懸命担ぐ!
- 哥們儿B
- 一生懸命掲げる!
- 哥們儿AB
- 一生懸命担ぐ掲げる!
- 路之信
- 呂桂花。担いだり掲げたりするのは誰だってできるが、俺の仕事は他にできる奴はいないぞ。よくよく話をしてくれ、よくよく話をしてくれ。[呂桂花が中へ歩いて行く。路之信は彼女に向かって大声で]よくよく話をしてくれ!
- 哥們儿A
- 路さん義理というものを知らないな。一緒に来たっていうのに。
- 黒磚頭
- 仁義を知らないのかよ。俺たちが担ぐんだよ。誰だって担げるわけじゃない。一緒に出ていかなきゃ駄目だろうが。
- 路之信
- 誰のせいだ。誰のせいだよ!俺が呼んだ訳でもないのに。俺に向かって力むな。
- 哥們儿A
- 呂桂花大丈夫かよ。
- 黒磚頭
- 呂桂花が駄目なら大丈夫な奴はいないよ。呂桂花は中に知り合いがいるんだ。北京人。当時の知識青年が北京に戻らずに、ここに落ち着いて鎮長になったんだ。
- 哥們儿A
- 北京人が呂桂花の相手をするのかよ?
- 黒磚頭
- お前たちのような歴史を知らない奴とは話にならん。
解説・補足
- 古来中国の葬儀は大声で泣き叫ぶことで、死者への愛慕の念を表現するという風習がある。一部地域ではまだこの風習が強く残っているようで、葬儀の体面を保つため、声の大きい者を招いて、家族と共に泣き叫んでもらうということも行われているようだ。[^]
- “我不姓……”はその前に「~したら/~しなければ/~できなければ」などの表現を置き、「……」の部分は本人の姓を入れて、絶対に何かをする、もしくはしないことを誓う誓いの表現として用いる。姓は本人が属する家族・宗族を表し、伝統的に家族・宗族が重んじられる中国では非常に重視されるが、そのような重要な自分の姓の名誉を賭けるところから、誓いの言葉として用いられる。[^]
- 伝統的な中国の葬儀では、白色の幟が掲げられる。[^]
- “抬举”は人を重視するしたり取り立てたりすることを意味する語彙だが、ここでは単に“抬灵”の“抬”と“举幡”の“举”が並列しているだけである。[^]
- “江湖”は「世間ずれしている」という意味があり、“不江湖”で「世間知らず」と解釈することもできるが、特に近年“江湖”は任侠の世界を美化する表現として使われる傾向が強く、ここでは「仁義を知らない」と解釈している。[^]
- 文革時代に都市部からの農村部へ多数の若者が送り込まれ、文革終了後に帰郷したが、さまざまな事情からそのまま農村部に留まった者もいる。政治的な理由でこの時代の出来事についてあまり多く語られないため、文革を直接経験していない若年層には文革がいかなるものであったか知らない者が多い。[^]