「勉強」という字からしてもそうですね。「勉」に「強」ですから。中国語で「勉强」と言えば「無理に強いる」とか「強制する」とか「いやいやながらだ」なんていう意味です。中国語の「勉强」こそ日本語の「勉強」の本質を突いているものだと言えばそうかもしれません。
つまらないから続かず、続かないから身につきません。多くの人が外国語をマスターできない最たる原因の一つがここにあります。
逆に言えば、楽しければ続くし、続けることができれば身につく訳です。根本的な部分をひっくり返してやれば、習得は約束されたようなものなのです。
だからこそ「楽習」です。根本的なところからひっくり返してやるのです。革命です。語学革命です。大げさに思われるかもしれませんが、それだけの力を秘めているのです。
では、「楽習」とはいったい何なのでしょうか。
見てのごとく、「楽習」の心は「楽」にあります。本項では「中国語楽習法」を考えるに当たって、まずこの「楽」について解いてみたいと思います。
楽しい
「楽」は大きく分けて二つの意味を持っています。
一つ目が「楽しい」です。語学を、中国語を学ぶこと自体を楽しめることができれば、遅かれ早かれ中国語を習得できるのは言うまでもないでしょう。
「好きこそ物の上手なれ」とはこのことです。これを中国語学習で再現できれば、勝利は約束されたものとなります。
好きなものには自分の意思で優先して時間を配分するものです。「三度のメシよりも中国語が好き」ならば、継続できない、なんて事態になることはあり得ません。
また、積極的な意思で学習すること自体に大きな意義があることを忘れてはなりません。学習法を論じるにおいて、この自発性という要素は往々にして軽視されがちですが、その実は学習効率・効果に大きな影響を与えます。
実験用のラットは自分の意思で走ると一日8キロメートル走ることができるのですが、人為的手段で強制的に走らせると、ストレスによって2キロでグロッキーしてしまいます。意思一つで実に4倍の差が生まれてしまうのです。
このように、学習を楽しむことができれば、時間的にも、精神的にも最高の状態で学習することができます。中国語学習、という点から考えれば、まさに理想的な状態です。
もっとも、このような状態になると語学マニア化し、本来は手段であるはずの中国語習得が目的化、「ネイティブスピーカーに追いつき追い越せ」の精神が発動して中国語そのものに没頭し、視野が狭くなってしまうケースも少なくないのも事実なのですが。
別に語学マニアがいけない、という訳ではないのですが、私は「外国語は手段である」という考えを強く信奉しており、外国語能力を活かして、実社会で価値を創造していくことを重視しています。まぁこれは個々人の価値観にもよりますし、主題である「楽習法」から外れてしまいますので、本項では割愛します。
楽(ラク)
もう一つが「楽(らく)」です。苦労しない、という意味です。「楽しい」という境地に至ることができなくても、お勉強が辛くなければ、学習効果は高くなりますし、ストレスも低くなります。
その効果は「楽(たの)習」には劣りますが、方法論的にはこちらの方が簡単です。「楽(たの)習」はメンタル面の影響が大きく、個人差が大きいので普遍的に効果のある方法論を構築するのは難しいですが、「楽(らく)習」は客観的に評価できるであろう学習を辛くする原因を取り除いていけば良いので、方法論として確立させることも容易だと思います。
そんな訳で、中国語楽習法が目指すところは、『一に「楽(たの)習」二に「楽(らく)習」』です。できれば「楽(たの)習」を、それがダメなら「楽(らく)習」を、という観点で話を進めていきたいと思います。
次項からはまず大物を狙って「楽(らく)習法」の構築について考えていきます。気楽にお付き合いください。